高速道路の歴史は日本車発達とオリンピック開催に関連があります

高速道路の歴史は日本車発達とオリンピック開催に関連があります

日本における高速道路の開通の歴史は日本車発達とオリンピック開催に深い関連性があります。

まず、日本車は高速道路の開通以前は360㏄等の低排気量の車がメインで走っていましたが、技術革新によって排気量・パワーがともに増えた事で時速80㎞以上の車がたくさん市販されるようになり、遠出をするトラックや乗用車等の交通量が増加した結果高速道路の建設促進につながった事実があります。

オリンピック開催に関しては、1964年の東京オリンピックの開催に間に合わすために名神高速・首都高速(都心環状線や羽田線の一部)の開通があった事でその後の路線網の拡大につながり、現在では1万kmに近い道路網となりました。

2013年に開催された五輪総会において、2020年の東京オリンピック開催が決定する運びとなりましたが、それに備えて外郭環状道路の整備が始まっており1日に5万台以上が通過する道路として完成する見込みとなっています。

そして、1964年前後に作られた首都高は老朽化が進んでおり、海上を通過する区間は橋の補修が急務となっています。これが進まないと多くの観光客の移動が不便になりますので、早急な改修をしてもらいたいと感じています。