日本車におけるマイカー文化と国産車の歴史

日本車におけるマイカー文化と国産車の歴史

日本車といえば世界中でその安全性や品質の高さが認識されていますが、かつて日本で国産車が初めて作られたのは1904年のことでした。

日本車の歴史は電気技師の山羽虎夫によって山羽式蒸気自動車が製作されたことに始まります。

1907年には日本で初めてのガソリン自動車であるタクリー号が吉田真太郎と内山駒之助によって10台作られました。

1911年になると日産自動車の元となった快進社自働車工場によってエンジンも開発されて純国産車が生産されることになりました。

1918年に東京瓦斯電気工業によって日本で初めてのT.G.E.トラックも開発され、翌年には三菱造船が日本初の量産乗用車である三菱A型を開発しました。

1925年には白楊社のオートモ号が上海に輸出されたことで日本車は初めて海外に進出しました。

しかしながら日本車が本格的に海外に進出したのは自動車の海外輸出に於ける様々な規制が自由化された1950年のことでした。

1970年代に入ると高い品質と燃費の良さや値段の安さなどが評判となり、日本車の評価は世界中で高まっていきました。

日本が豊かになっていくと同時にそれまでは庶民にとって高嶺の花であった自家用自動車も普及していきマイカー文化が広がっていったのです。