日本車の歴史「電気自動車と蒸気自動車」について

日本車の歴史「電気自動車と蒸気自動車」について

日本車の歴史「電気自動車と蒸気自動車」について

日本車における電気自動車と蒸気自動車の歴史についての解説ですが、電気自動車と言えばつい最近出てきたの全く新しい車だと思っている人が多いかと思います。しかし、日本でその歴史は意外と古いのです。

それは、戦中、戦後でガソリンが不足していた時代に、日本では電気や蒸気を動力にした自動車が使われていました。

もちろん今の日本車のように性能の良いものでは有りませんでしたが、ガソリンが無かった時代は重宝されていました。

戦後復興しガソリンの供給が安定してくるとそれらの自動車は廃れていきましたが、電気自動車が見直されてくるのはオイルショック後の石油価格の高騰に伴うガソリン高と環境意識の高まりによって石油の消費量を抑えようという機運が高まってきたからです。

日本車では日産「リーフ」や三菱「i-MiEV」が市販されており有名ですが、実はハイブリットが有名なトヨタでも実証実験レベルで一般には市販されませんでしたが「e-com」という小型の電気自動車が実用されていますし、それ以外でも各社が技術を持っています。

普及の妨げになっているのは航続距離とバッテリーのコストで、現在はまだまだ普及が進んではいませんが、これから技術革新が進みバッテリーのコストが下がってくれば大いに普及してくると思われます。

日本車/歴史/輸入/輸出について

日本車/歴史/輸入/輸出について

日本車の生産の歴史は、1904年山羽式蒸気自動車が最初の自動車と言われています。1911年に、純国産のエンジンを搭載した自動車が生産されます。また、日本の自動車は、財閥系も加わり生産されました。1925年オートモ号が上海に国産初の輸出として2台行われました。同年より、米国の自動車会社による日本での現地生産も始まります。一方、外国車の輸入も20世紀初頭から行われました。

日本車の車の品質は、当初は、現在のように高い品質の車を生産できませんでした、そして、日本車の本格的な海外輸出は、1949年となります。尚、輸出先は、沖縄、台湾、タイ、ブラジルが中心でした。対米向けは、1957年から始まりますが、当時はまだ技術力が低く品質も粗悪であったため、米国市場では、欠陥車の烙印を押されます。そして、改良の甲斐もなく購入拒否に追い込まれると言う始末でした。

しかし、各メーカーは欧米の技術を徹底的に模範、研究することによって、良い品質の車を生産できるようになり、改善が次第に浸透して評価は向上します。2008年には、日本の年間自動車生産台数は1156万台で、世界第1位になります。そして、米国を中心に売り上げが伸びました。2005年には、アメリカ合衆国での日本車のシェア41.2%に達することになりました。現在では、日本車の品質は、世界でトップクラスで世界より品質についての高い信頼性の評価を得ています。

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ガソリンの消費量が少ない日本車の歴史

ガソリンの消費量が少ない日本車の歴史

日本は欧米に比べて自動車製造では大きく出遅れていました。

元々、エネルギー資源の乏しい日本で、自動車製造は不向きと言われていて、圧倒的なパワーや車体の大きさを持つ欧米の車には勝ち目が無いとまで言われていました。

とくに戦後において自動車が日本中に広まっていない時、車は特別なものであり要人のみに利用される移動手段として理解されていました。

海外ではすでに欧米車が広まり、各国政府要人や富裕層を中心に広がりを見せる中、日本の自動車製造業のみが一般大衆向けの小型車の生産に着目しました。

当時の日本車は、欧米の車に比べて小さく迫力ではまったく勝ち目はなく、パワーにおいても劣る部分がありました。

ただ、戦後の日本は戦争の最終局面において、軍艦や戦闘機の生産能力が敵国に比べて優れていた反面、石油資源に乏しく、それらが消費する燃料の調達に困難を極めたという歴史があり、敗戦により終戦を迎えた後、本格的な自動車製造を進める中で、徹底して取り組まれたこととして、欧米の車に比べて圧倒的にガソリンの消費量を抑えた車を作り、大衆車として世に広めるということでした。

敗戦後、復興する日本は、外交においても非常に不利であったため、終戦から70年経った現在においても燃費水準に力を注いだ自動車の生産が進み、それは日本が歴史から学んだことで世界シェアトップに君臨する今でも新たな燃費対策を講じ、世界中で広く評価されています。